働くべきか働かざるべきか…それが問題だ
2013年8月15日10年近く前に読んだ論文をもう一度読む。
Hansen and Wright (1992) "The Labor Market in Real Business Cycle Theory." っていう、ミネアポリス連銀のQuarterly Review に掲載された論文だが、これは非常によく書かれた論文だと思う。
生産性の確率的な上昇・低下が景気変動を引き起こす、という実物景気循環理論(Real Business Cycle, RBC)の含意と欠陥を、直観的に平易に理解できる分析でバッサバッサと明らかにしていく展開が秀逸。
これを読む人のお仕事は、人によってさまざまだと思いますが。
いま、ある一定期間だけ皆さんの仕事の能率が何らかの理由で飛躍的に改善したとしましょう。能率が上がった分だけ給料もアップするものとします。
さて、どうしますか??
1)能率が上がっている間に稼げるだけ稼ぐべき!→ もっと働く!
2)能率の向上によって今までより働く時間が短くても同じだけの給料がもらえるんだから→ゆっくり休暇を楽しむ!
という、両方の可能性があるかと思います。実際どっちなんじゃい、というのは、
・能率が「一定期間」向上っていうけど、どれくらい持続するのか?
とか
・働くことの面倒さに対してあなたがどれくらい我慢強いか?
とか
・現時点でどれくらい働いているか?(いっぱいいっぱいの状態で働いている人なら、ちょっとぐらい稼ぎが良くなったことを理由にこれ以上働こうとしないですよね)
など、いろんな要素が影響すると思います。
RBCでは、こういった要素に現実社会に妥当するような数値を当てはめてシミュレーションすると、能率が上昇して景気が良くなると、1)のもっと働く!という結果がもたらされ、同時に賃金も上昇します。
すなわち、
・景気上昇と労働時間と賃金は同時に同じ方向を向いて動く
ということになります。
しかし。
現実社会ではこのことは必ずしも正しくないのです。
とりわけ、Hansen and Wrightが取り上げた戦後の米国経済では、
・労働時間と賃金との間にハッキリした相関は存在しない
1)このことをRBCが説明できないのはどうしてなんでしょうねぇ?
ということと
2)じゃあどうすれば説明できますかねぇ?
ということが、極めて明解な論理で説かれています。
すなわち、
・問題は、景気の上昇・下降を引き起こすのが能率の変化という、ただ一つの要因であることにある
というのです。
能率の変化が労働市場に何をもたらすのか?
それは、労働需要のシフトです。
・企業からすれば、同じ賃金の下で生産量が増えるような状況が訪れたなら、以前と比べて雇用を増やそうとするでしょうし、逆に能率が低下するような状況なら雇用を減らそうとするはずです(労働需要曲線のシフト)
それに比べて、
・どれくらいの賃金がもらえたら、どれくらい働こうと思うか?という、働く側の「好み」については、何の変化も起きていないわけなので、労働供給曲線は動きません。
結果、安定的な右上がりの労働供給曲線をなぞるように、労働需要が左右にシフトするので、均衡点をトレースしていくと自然と労働時間と賃金との間に強い正の相関関係が生まれる、というわけです。
これは、RBC理論の想定する景気変動要因が、もっぱら労働需要曲線のシフトのみを引き起こすショックに求められているために起きる現象であるので。
↓
【解決策】
「労働需要のシフトしか起こせなくて問題が起きるのなら、 労働供給もシフトさせれば良いのよ! 」
(by マリーアントワネット)
ということで、例えば
1)職場での仕事の能率だけでなく、家庭内での仕事(家事)の能率も確率的に変化する場合には、働き手の側(労働供給者)がもっと働こうと思うかどうかが、家事の能率によって左右される
とか
2)生産された財の一部が政府の支出に使われる場合には、政府の支出額が確率的に変化すれば、家計に回る財の量が影響を受けるため、将来にわたって消費活動を安定化させたいと願う働き手が現在どれだけ働こうと希望するかに影響を及ぼす
など、RBC理論に足りない要素を付け加えて再度シミュレーションをすると…労働市場の振る舞いがより良く説明されましたとさ、メデタシメデタシ。
Hansen and Wright (1992) "The Labor Market in Real Business Cycle Theory." っていう、ミネアポリス連銀のQuarterly Review に掲載された論文だが、これは非常によく書かれた論文だと思う。
生産性の確率的な上昇・低下が景気変動を引き起こす、という実物景気循環理論(Real Business Cycle, RBC)の含意と欠陥を、直観的に平易に理解できる分析でバッサバッサと明らかにしていく展開が秀逸。
これを読む人のお仕事は、人によってさまざまだと思いますが。
いま、ある一定期間だけ皆さんの仕事の能率が何らかの理由で飛躍的に改善したとしましょう。能率が上がった分だけ給料もアップするものとします。
さて、どうしますか??
1)能率が上がっている間に稼げるだけ稼ぐべき!→ もっと働く!
2)能率の向上によって今までより働く時間が短くても同じだけの給料がもらえるんだから→ゆっくり休暇を楽しむ!
という、両方の可能性があるかと思います。実際どっちなんじゃい、というのは、
・能率が「一定期間」向上っていうけど、どれくらい持続するのか?
とか
・働くことの面倒さに対してあなたがどれくらい我慢強いか?
とか
・現時点でどれくらい働いているか?(いっぱいいっぱいの状態で働いている人なら、ちょっとぐらい稼ぎが良くなったことを理由にこれ以上働こうとしないですよね)
など、いろんな要素が影響すると思います。
RBCでは、こういった要素に現実社会に妥当するような数値を当てはめてシミュレーションすると、能率が上昇して景気が良くなると、1)のもっと働く!という結果がもたらされ、同時に賃金も上昇します。
すなわち、
・景気上昇と労働時間と賃金は同時に同じ方向を向いて動く
ということになります。
しかし。
現実社会ではこのことは必ずしも正しくないのです。
とりわけ、Hansen and Wrightが取り上げた戦後の米国経済では、
・労働時間と賃金との間にハッキリした相関は存在しない
1)このことをRBCが説明できないのはどうしてなんでしょうねぇ?
ということと
2)じゃあどうすれば説明できますかねぇ?
ということが、極めて明解な論理で説かれています。
すなわち、
・問題は、景気の上昇・下降を引き起こすのが能率の変化という、ただ一つの要因であることにある
というのです。
能率の変化が労働市場に何をもたらすのか?
それは、労働需要のシフトです。
・企業からすれば、同じ賃金の下で生産量が増えるような状況が訪れたなら、以前と比べて雇用を増やそうとするでしょうし、逆に能率が低下するような状況なら雇用を減らそうとするはずです(労働需要曲線のシフト)
それに比べて、
・どれくらいの賃金がもらえたら、どれくらい働こうと思うか?という、働く側の「好み」については、何の変化も起きていないわけなので、労働供給曲線は動きません。
結果、安定的な右上がりの労働供給曲線をなぞるように、労働需要が左右にシフトするので、均衡点をトレースしていくと自然と労働時間と賃金との間に強い正の相関関係が生まれる、というわけです。
これは、RBC理論の想定する景気変動要因が、もっぱら労働需要曲線のシフトのみを引き起こすショックに求められているために起きる現象であるので。
↓
【解決策】
「労働需要のシフトしか起こせなくて問題が起きるのなら、 労働供給もシフトさせれば良いのよ! 」
(by マリーアントワネット)
ということで、例えば
1)職場での仕事の能率だけでなく、家庭内での仕事(家事)の能率も確率的に変化する場合には、働き手の側(労働供給者)がもっと働こうと思うかどうかが、家事の能率によって左右される
とか
2)生産された財の一部が政府の支出に使われる場合には、政府の支出額が確率的に変化すれば、家計に回る財の量が影響を受けるため、将来にわたって消費活動を安定化させたいと願う働き手が現在どれだけ働こうと希望するかに影響を及ぼす
など、RBC理論に足りない要素を付け加えて再度シミュレーションをすると…労働市場の振る舞いがより良く説明されましたとさ、メデタシメデタシ。
茶人たちの日本文化史 (講談社現代新書)
2013年8月12日 読書
喫茶の風習が中国から日本に伝来して以来、団茶→抹茶→煎茶へと喫茶文化が変遷していく過程で登場する人々に焦点を当てて日本文化論を展開する一書。
著者の見解では、「茶文化こそが日本文化の体現」であり、茶文化の今後の方向性がこれからの日本人の心の拠り所となっていくであろう、とのこと。
そして、その茶文化が目指すべき方向性として、「侘び」を極めることを重視しているように読めたのだけれど、これには少し違和感を感じた。
本書の全体を通じた茶文化の変遷史は、
・遊興としての茶道
と
・式礼あるいは修行としての茶道
のせめぎ合いである。ある時期には貴族的な、管弦や詩歌を楽しむのと同様の場で茶が楽しまれ、それに対する反動として「在俗の禅」としての修行の一環としての茶道が行われる。しかしそれが定着してくるとやがて自由闊達な精神が失われ、また純粋に喫茶を楽しむことが重視されるようになる。こうした相互作用の中で茶文化が展開されてきた、という。
たとえば、日本史歴代の茶人たちも、こんにち「茶道」として知られている、茶室で茶道具を用いて抹茶を点てる作法を絶対視していたわけではなく、田能村竹田や池大雅などの文人はこれに背を向けて煎茶を宣揚しているし、柳宗悦は楽茶碗の名物を否定して民芸品に日本美術の本質を見ようとしてきた。
自分としては、そのように展開してきた茶文化の本質は、遊興と式礼とを混在させながらも両者の均衡を図る点にあるのではないかと思った。
ひょっとすると著者が目指すべきとする「侘び」の精神の本質もそういうところにあるのかもしれないけれど、そこらへんの説明は読んでいてもよくわからなかった。
・立派な茶道具をコレクションし、茶室で披露する「数奇」への反動
として、「道具をもたず」「茶室を簡素・質素に」を突き詰めていった考え方として成立した概念のようだけれど、
・家元制度の確立によって、その精神は正しく受け継がれていない
とも評されていて、じゃあどういう考え方なんだというと、はっきりしない。
…少しモヤモヤの残る感じです…。
著者の見解では、「茶文化こそが日本文化の体現」であり、茶文化の今後の方向性がこれからの日本人の心の拠り所となっていくであろう、とのこと。
そして、その茶文化が目指すべき方向性として、「侘び」を極めることを重視しているように読めたのだけれど、これには少し違和感を感じた。
本書の全体を通じた茶文化の変遷史は、
・遊興としての茶道
と
・式礼あるいは修行としての茶道
のせめぎ合いである。ある時期には貴族的な、管弦や詩歌を楽しむのと同様の場で茶が楽しまれ、それに対する反動として「在俗の禅」としての修行の一環としての茶道が行われる。しかしそれが定着してくるとやがて自由闊達な精神が失われ、また純粋に喫茶を楽しむことが重視されるようになる。こうした相互作用の中で茶文化が展開されてきた、という。
たとえば、日本史歴代の茶人たちも、こんにち「茶道」として知られている、茶室で茶道具を用いて抹茶を点てる作法を絶対視していたわけではなく、田能村竹田や池大雅などの文人はこれに背を向けて煎茶を宣揚しているし、柳宗悦は楽茶碗の名物を否定して民芸品に日本美術の本質を見ようとしてきた。
自分としては、そのように展開してきた茶文化の本質は、遊興と式礼とを混在させながらも両者の均衡を図る点にあるのではないかと思った。
ひょっとすると著者が目指すべきとする「侘び」の精神の本質もそういうところにあるのかもしれないけれど、そこらへんの説明は読んでいてもよくわからなかった。
・立派な茶道具をコレクションし、茶室で披露する「数奇」への反動
として、「道具をもたず」「茶室を簡素・質素に」を突き詰めていった考え方として成立した概念のようだけれど、
・家元制度の確立によって、その精神は正しく受け継がれていない
とも評されていて、じゃあどういう考え方なんだというと、はっきりしない。
…少しモヤモヤの残る感じです…。
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チャイコフスキー 交響曲第5番聞き比べ
2013年8月10日 動画チャイコフスキー交響曲第5番第4楽章を聴き比べる動画。
チャイ5の第4楽章と言えば、やはり。そう。
ドラえもん(*)
(*)間奏部分がドラえもんのオープニングの前奏のように聞こえる。
アバド→カラヤン→ゲルギエフ→ハイティンク→バーンスタイン→デュトワ→スヴェトラーノフ→ムラヴィンスキー
と流れます。
友だちが
「チャイ5はムラヴィンスキーがお薦め」
と言ってたけど、確かに他と比べても存在感が際立つ。
…スヴェトラーノフとかもそうだけど、やっぱり気合の入り方が違うような気がしてしょうがない。もう前奏なんか完全にドラえもんにしか聞こえないし 。
やはりロシアの音楽はロシア人が一番なんでしょうか。
ここには入ってないけど、自分はフェドセーエフも好き。
http://www.youtube.com/watch?v=lwZ8Z3wHFn0
チャイ5の第4楽章と言えば、やはり。そう。
ドラえもん(*)
(*)間奏部分がドラえもんのオープニングの前奏のように聞こえる。
アバド→カラヤン→ゲルギエフ→ハイティンク→バーンスタイン→デュトワ→スヴェトラーノフ→ムラヴィンスキー
と流れます。
友だちが
「チャイ5はムラヴィンスキーがお薦め」
と言ってたけど、確かに他と比べても存在感が際立つ。
…スヴェトラーノフとかもそうだけど、やっぱり気合の入り方が違うような気がしてしょうがない。もう前奏なんか完全にドラえもんにしか聞こえないし 。
やはりロシアの音楽はロシア人が一番なんでしょうか。
ここには入ってないけど、自分はフェドセーエフも好き。
http://www.youtube.com/watch?v=lwZ8Z3wHFn0
日本の水産業は復活できる! ―水産資源争奪戦をどう闘うか
2013年8月3日 読書
マルハニチロで数多くの買付交渉に携わった著者による日本の水産業への提言書。
食生活の欧風化・現代化が進む中で陰りが見えるとはいえ、「日本は魚食大国」との認識を持っている日本人はまだかなりいると思いますが、実は、水産物の多くはもはや日本国内ではなく海外からの輸入品であり、日本はいまや世界一の水産物輸入国となっています。
サーモンだけでなく、アジやサバやイワシも輸入品であることが珍しくありません。
著者は、日本の水産業が衰退した原因を「資源管理の失敗」に求めています。
すなわち、自分の農地を自分で管理する農業と異なり、「入会(いりあい)」の考え方の下、漁場が共同管理される漁業では「共有地の悲劇」が起こりやすい、との指摘です。
一本釣りやはえ縄など、漁獲能力が制限されていた時代には、漁業者間の共同管理でも悲劇は起きなかったが、トロールや巻き網の登場により漁獲能力が大幅に向上した現代にあっては、獲ったもの勝ち・早い者勝ちの「オリンピック方式」では、「獲れるうちに獲ってしまえ」との考えの下、十分生育していない個体までもが乱獲され、漁業資源の枯渇を招くおそれが強い、とのこと。
結果的には、脂が乗っていない小さな個体が市場に出回ることになるので、価格も安くなり、漁業収益も低下してしまうとの懸念が示されています。
これに代わり著者は、ノルウェーなどの成功体験を踏まえ、
1)Individual Quota (IQ):個別割当
2)Individual Transferable Quota (ITQ):譲渡可能個別割当
3)Individual Vessel Quota (IVQ):漁船別個別割当
など、漁獲量を漁業者ごとに割り当てる方式で漁獲規制を行い、漁業資源の持続可能性を確保することを提唱しています。
こうした方式を採用する国々では、漁獲能力の高い漁船で十分脂の乗った成魚を確実に捕獲し、高価格で売ることにより漁業者も十分な収益を確保し、かつ漁業資源も維持されているとのことです。
個々の経済主体の近視眼的な行動が共同体全体に(負の)影響を及ぼす場合に、どのようなルールで個々の主体の行動を規律すべきか、という課題について、ごくわかりやすく記述している好例かと思います。
食生活の欧風化・現代化が進む中で陰りが見えるとはいえ、「日本は魚食大国」との認識を持っている日本人はまだかなりいると思いますが、実は、水産物の多くはもはや日本国内ではなく海外からの輸入品であり、日本はいまや世界一の水産物輸入国となっています。
サーモンだけでなく、アジやサバやイワシも輸入品であることが珍しくありません。
著者は、日本の水産業が衰退した原因を「資源管理の失敗」に求めています。
すなわち、自分の農地を自分で管理する農業と異なり、「入会(いりあい)」の考え方の下、漁場が共同管理される漁業では「共有地の悲劇」が起こりやすい、との指摘です。
一本釣りやはえ縄など、漁獲能力が制限されていた時代には、漁業者間の共同管理でも悲劇は起きなかったが、トロールや巻き網の登場により漁獲能力が大幅に向上した現代にあっては、獲ったもの勝ち・早い者勝ちの「オリンピック方式」では、「獲れるうちに獲ってしまえ」との考えの下、十分生育していない個体までもが乱獲され、漁業資源の枯渇を招くおそれが強い、とのこと。
結果的には、脂が乗っていない小さな個体が市場に出回ることになるので、価格も安くなり、漁業収益も低下してしまうとの懸念が示されています。
これに代わり著者は、ノルウェーなどの成功体験を踏まえ、
1)Individual Quota (IQ):個別割当
2)Individual Transferable Quota (ITQ):譲渡可能個別割当
3)Individual Vessel Quota (IVQ):漁船別個別割当
など、漁獲量を漁業者ごとに割り当てる方式で漁獲規制を行い、漁業資源の持続可能性を確保することを提唱しています。
こうした方式を採用する国々では、漁獲能力の高い漁船で十分脂の乗った成魚を確実に捕獲し、高価格で売ることにより漁業者も十分な収益を確保し、かつ漁業資源も維持されているとのことです。
個々の経済主体の近視眼的な行動が共同体全体に(負の)影響を及ぼす場合に、どのようなルールで個々の主体の行動を規律すべきか、という課題について、ごくわかりやすく記述している好例かと思います。
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あいつはいつかきっと来る~金融政策ルールと物価の決定性
2013年7月28日 学校・勉強先日、とある勉強会でマルコフ・スイッチと合理的期待形成に関する3つの論文のレビューがあった。
・Farmer, Waggoner, and Zha (2009) "Understanding Markov-Switching Rational Expectations Models." Journal of Economic Theory , Vol. 144, Issue 5, 1849-1867.
・Farmer, Waggoner, and Zha (2011) "Minimal State Variable Solutions to Markov-Switching Rational Expectations Models." Journal of Economic Dynamics and Control, Vol. 35, Issue 12, 2150-2166.
・Davig and Leeper (2007) "Generalyzing the Taylor Principle." American Economic Review , Vol. 97, No. 3, 607-635.
経済モデルの構造変化が確定的(Deterministic)ではなく確率的(Stochastic)であるとして、その確率分布がマルコフ連鎖に従う場合の均衡の安定性を定義するものがFarmer et.al (2009)、モデルの実用的な解法を展開するものがFarmer et al (2011)、金融政策当局の反応関数にマルコフ連鎖に従う確率的構造変化が発生する場合の物価の決定性を議論するのがDavig and Leeper (2007)。
レジーム・スイッチには以前から関心があったので、面白かった。
↓
ので、復習もかねて週末は
・Clarida, Gali, and Gertler (2000) "Monetary Policy Rules and Macroeconomic Stability: Evidence and Some Theory." Quarterly Journal of Economics, Vol. 115, Issue 1, 147-180
など、確率的構造変化が取り込まれる以前の物価の決定性(Price Determinacy)に関する論文をもう一度読む。
既によく知られているように、「政策金利をインフレ率の変化よりも大きく反応させる」という「テイラー原則(Taylor Principle)」を満たす金融政策ルールが、物価の決定性を保証する。
このような原則を満たす金融政策運営が行われている限り、Non-Fundamentalなインフレ期待のシフトが防止されるからである。
たとえば具体的に、実体経済の変化に根拠を持たない期待インフレ率の上昇が起きようとしているとしよう。
・この場合、インフレ率が上昇すれば、金融政策当局は政策金利をインフレ率の上昇以上に引き上げて反応することになるので、実質金利は上昇する。
・実質金利の上昇は総需要を抑制し、経済活動を冷え込ませるから、実際にはインフレは起きない。
・つまり、期待インフレ率の上昇と矛盾する結果が生じることになる。
・このことを認識している民間経済主体は決して期待インフレ率を根拠なく変更しない。
Clarida et al. (2000)は、ボルカー・グリーンスパン以前と以後で金融政策当局の政策反応関数を推計し、ボルカー以前の政策反応関数はテイラー原則を満たしていない、したがって物価の不決定性(Indeterminacy)を容認するような政策運営がなされていたと論ずる。1960~70年代の高インフレは、Non-Fundamentalなインフレ期待のシフトに起因するのではないかとの主張である。
これに対し、Davig and Leeper (2007)は非常に興味深い分析を行っている。Farmer他でも展開されているマルコフ・スイッチモデルでは、合理的な経済主体は、経済構造が一定の確率分布に従って変化する場合には、その構造変化をも期待形成に織り込む。
したがって、
・たとえば金融政策ルールが一時的にテイラー原則を満たしていなくとも、将来テイラー原則を満たす強力な金融政策レジームに転換することが予見される場合には、物価の決定性が保証される場合がある。
・この意味で、確率的構造変化が生じない場合よりも緩やかな条件の下で、金融政策が物価の決定性を保証することが可能となる
というのが、DavigとLeeperの主張である。
・Farmer, Waggoner, and Zha (2009) "Understanding Markov-Switching Rational Expectations Models." Journal of Economic Theory , Vol. 144, Issue 5, 1849-1867.
・Farmer, Waggoner, and Zha (2011) "Minimal State Variable Solutions to Markov-Switching Rational Expectations Models." Journal of Economic Dynamics and Control, Vol. 35, Issue 12, 2150-2166.
・Davig and Leeper (2007) "Generalyzing the Taylor Principle." American Economic Review , Vol. 97, No. 3, 607-635.
経済モデルの構造変化が確定的(Deterministic)ではなく確率的(Stochastic)であるとして、その確率分布がマルコフ連鎖に従う場合の均衡の安定性を定義するものがFarmer et.al (2009)、モデルの実用的な解法を展開するものがFarmer et al (2011)、金融政策当局の反応関数にマルコフ連鎖に従う確率的構造変化が発生する場合の物価の決定性を議論するのがDavig and Leeper (2007)。
レジーム・スイッチには以前から関心があったので、面白かった。
↓
ので、復習もかねて週末は
・Clarida, Gali, and Gertler (2000) "Monetary Policy Rules and Macroeconomic Stability: Evidence and Some Theory." Quarterly Journal of Economics, Vol. 115, Issue 1, 147-180
など、確率的構造変化が取り込まれる以前の物価の決定性(Price Determinacy)に関する論文をもう一度読む。
既によく知られているように、「政策金利をインフレ率の変化よりも大きく反応させる」という「テイラー原則(Taylor Principle)」を満たす金融政策ルールが、物価の決定性を保証する。
このような原則を満たす金融政策運営が行われている限り、Non-Fundamentalなインフレ期待のシフトが防止されるからである。
たとえば具体的に、実体経済の変化に根拠を持たない期待インフレ率の上昇が起きようとしているとしよう。
・この場合、インフレ率が上昇すれば、金融政策当局は政策金利をインフレ率の上昇以上に引き上げて反応することになるので、実質金利は上昇する。
・実質金利の上昇は総需要を抑制し、経済活動を冷え込ませるから、実際にはインフレは起きない。
・つまり、期待インフレ率の上昇と矛盾する結果が生じることになる。
・このことを認識している民間経済主体は決して期待インフレ率を根拠なく変更しない。
Clarida et al. (2000)は、ボルカー・グリーンスパン以前と以後で金融政策当局の政策反応関数を推計し、ボルカー以前の政策反応関数はテイラー原則を満たしていない、したがって物価の不決定性(Indeterminacy)を容認するような政策運営がなされていたと論ずる。1960~70年代の高インフレは、Non-Fundamentalなインフレ期待のシフトに起因するのではないかとの主張である。
これに対し、Davig and Leeper (2007)は非常に興味深い分析を行っている。Farmer他でも展開されているマルコフ・スイッチモデルでは、合理的な経済主体は、経済構造が一定の確率分布に従って変化する場合には、その構造変化をも期待形成に織り込む。
したがって、
・たとえば金融政策ルールが一時的にテイラー原則を満たしていなくとも、将来テイラー原則を満たす強力な金融政策レジームに転換することが予見される場合には、物価の決定性が保証される場合がある。
・この意味で、確率的構造変化が生じない場合よりも緩やかな条件の下で、金融政策が物価の決定性を保証することが可能となる
というのが、DavigとLeeperの主張である。
増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い (岩波現代文庫)
2013年7月27日 読書
西洋美術評論の第一人者である著者が、西洋美術との比較により日本美術の特質を浮き彫りにする随筆集。
1.伊勢神宮の式年遷宮にみられるように、特定の様式に基づいて作られた「もの」ではなく、様式そのものである「かた」が後世まで継承され、起源の異なる複数の様式が同時代に共存していること
2.高橋由一や安田會太郎のように洋画の影響を強く受け、その技法を吸収しようとした日本人にもなお視形式として根強く残っていたことが確認される平面的な画面構成
3.画面上縁から画面内部に垂れ下がる藤や柳の枝のような「枝垂れモチーフ」に象徴される画面と画面外部との連続性(「部分による全体の暗示」)
4.洋画の「写実性の原理」ではなく、「装飾性の原理」に基づき、主要なモチーフだけを描き、不用なものを金箔や金泥等で覆い隠す大胆なクローズアップの手法
5.屏風絵や絵巻物にみられる季節の移り変わり等の同一画面内での異時点の共存
などを日本絵画の特徴として挙げ、画面構成の統一性に特徴をもつ西洋絵画と比較した場合、それまでの伝統を乗り越えようと取り組んでいた印象派以降の近代西洋画家にとって、いかに日本絵画の技法が驚くべき大胆な画面構成法として映ったであろうかを明解に解説する。
1.伊勢神宮の式年遷宮にみられるように、特定の様式に基づいて作られた「もの」ではなく、様式そのものである「かた」が後世まで継承され、起源の異なる複数の様式が同時代に共存していること
2.高橋由一や安田會太郎のように洋画の影響を強く受け、その技法を吸収しようとした日本人にもなお視形式として根強く残っていたことが確認される平面的な画面構成
3.画面上縁から画面内部に垂れ下がる藤や柳の枝のような「枝垂れモチーフ」に象徴される画面と画面外部との連続性(「部分による全体の暗示」)
4.洋画の「写実性の原理」ではなく、「装飾性の原理」に基づき、主要なモチーフだけを描き、不用なものを金箔や金泥等で覆い隠す大胆なクローズアップの手法
5.屏風絵や絵巻物にみられる季節の移り変わり等の同一画面内での異時点の共存
などを日本絵画の特徴として挙げ、画面構成の統一性に特徴をもつ西洋絵画と比較した場合、それまでの伝統を乗り越えようと取り組んでいた印象派以降の近代西洋画家にとって、いかに日本絵画の技法が驚くべき大胆な画面構成法として映ったであろうかを明解に解説する。
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天平の甍 (新潮文庫)
2013年7月27日 読書
漂流、放浪、そして失明。苦難の果てに渡日した唐の高僧鑑真。
天平5年(733年)の第9次遣唐使船で入唐し、彼を日本に招くべく奔走した留学僧の物語です。
この小説の味わい深い点は、歴史とは、強靭な意思と行動力を持ち合わせた超越した個人の存在のみによって創り出されるものではない、という視点に立って、歴史上の人物に焦点が当てられているところにあるのかと思います。
第9次遣唐使船で入唐した留学僧4人、戒融(かいゆう)、玄朗(げんろう)、栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)のうち、在唐20年を経た後、鑑真を連れて帰日を果たすのは普照ただ一人。
では、普照が4人の中で、生きて日本の土を踏むことを最も強く望み、唐僧を招き正しい戒律を日本にもたらすことに情熱を注ぎ、行動する人物がであったのかと言うと、決してそんなことはない。そこに作者の歴史観が滲み出ているのを感じました。
まず、行動力という点では、経典よりも広大な大陸に住む様々な貴賤の人々に興味をもち、滞在している寺を出奔して托鉢の旅に出てしまう戒融。
↓
途中、何をしてたかは詳細不明。歴史の上ではわずかに楽浪を経て日本に帰ってきたようなことが史書に記録として残るものの、事績は明らかではない。
次に、唐土に着くなり重度のホームシック にかかり、その意味では生きて日本に帰る希望を最も強くもっていたと思われる玄朗。
↓
持前の意志薄弱さを遺憾なく発揮し、唐で嫁さん見つけて娘も生まれ、還俗。そのまま唐土に骨を埋める。
そして、正しい戒律の必要性を最も強く信じ、唐の高僧鑑真を日本に招くことに不屈の信念で取り組んだ栄叡は…。
↓
漂流と放浪の果てに病没…。
普照はと言うと。
まあやっぱり朝廷の後ろ盾で国を代表して渡唐したわけだし、きちんと勉強して伝えられるものを伝えなきゃという最低限の使命感はもってはいるものの、どこか冷めているというか、のめり込まないというか、主体性を欠くというか、そんな性格の持ち主です。
幾多の困難に逢いながらも、最後まで鑑真に付き従ったのも、
「だってホラ、栄叡があんなに必死だし…それに引っ張られてここまで来ただけで…」
「まあ、なんか、勉学放り出して出奔しちゃった戒融の気持ちもわからないでもないけど…」
「鑑真和上の強靭な意思を目の当たりにしたら、『オレはもうイヤだねっ』とか、言えないよな…」
そんなヤツです。
でも、そんな人物が事績を残し、残りの3人は歴史上のその他大勢になってしまう。
他にも、4人の先輩留学僧である業行(ぎょうこう)という、既にもう何十年も写経のみに心血を注ぎ、誰も知らないマニアック経典も含めて、正しい経典を日本に運ぶ機能を果たすためだけに生きているような人物も登場します。
小説では、後に空海の登場を待って初めて日本に伝えられた密教の経典も含め、すべて写経を終え、さあ、いよいよこれを日本に持ち帰る!という設定になっているのですが。
↓
嵐の中で夥しい数の経典とともに海の底に沈没 …合掌。
歴史というのは、数多くの捨て石の上に積み重ねられてきたものであり、逆にそれら捨て石がなければ、後に続く人が事績を残すこともなかったのではないか、そう感じずにはいられない。
現代の我々も、自分が今取り組んでいる仕事が後世に何かを残すものとなるのかどうか、不安になることが多々ありますが、そんなことは考えても仕方がないこと。後に残ろうと残るまいと、今やらないといけないことはやらないといけない、人間はそうやって生きてきた。そんなことを思い知らされる作品ではないかと。
天平5年(733年)の第9次遣唐使船で入唐し、彼を日本に招くべく奔走した留学僧の物語です。
この小説の味わい深い点は、歴史とは、強靭な意思と行動力を持ち合わせた超越した個人の存在のみによって創り出されるものではない、という視点に立って、歴史上の人物に焦点が当てられているところにあるのかと思います。
第9次遣唐使船で入唐した留学僧4人、戒融(かいゆう)、玄朗(げんろう)、栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)のうち、在唐20年を経た後、鑑真を連れて帰日を果たすのは普照ただ一人。
では、普照が4人の中で、生きて日本の土を踏むことを最も強く望み、唐僧を招き正しい戒律を日本にもたらすことに情熱を注ぎ、行動する人物がであったのかと言うと、決してそんなことはない。そこに作者の歴史観が滲み出ているのを感じました。
まず、行動力という点では、経典よりも広大な大陸に住む様々な貴賤の人々に興味をもち、滞在している寺を出奔して托鉢の旅に出てしまう戒融。
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途中、何をしてたかは詳細不明。歴史の上ではわずかに楽浪を経て日本に帰ってきたようなことが史書に記録として残るものの、事績は明らかではない。
次に、唐土に着くなり重度のホームシック にかかり、その意味では生きて日本に帰る希望を最も強くもっていたと思われる玄朗。
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持前の意志薄弱さを遺憾なく発揮し、唐で嫁さん見つけて娘も生まれ、還俗。そのまま唐土に骨を埋める。
そして、正しい戒律の必要性を最も強く信じ、唐の高僧鑑真を日本に招くことに不屈の信念で取り組んだ栄叡は…。
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漂流と放浪の果てに病没…。
普照はと言うと。
まあやっぱり朝廷の後ろ盾で国を代表して渡唐したわけだし、きちんと勉強して伝えられるものを伝えなきゃという最低限の使命感はもってはいるものの、どこか冷めているというか、のめり込まないというか、主体性を欠くというか、そんな性格の持ち主です。
幾多の困難に逢いながらも、最後まで鑑真に付き従ったのも、
「だってホラ、栄叡があんなに必死だし…それに引っ張られてここまで来ただけで…」
「まあ、なんか、勉学放り出して出奔しちゃった戒融の気持ちもわからないでもないけど…」
「鑑真和上の強靭な意思を目の当たりにしたら、『オレはもうイヤだねっ』とか、言えないよな…」
そんなヤツです。
でも、そんな人物が事績を残し、残りの3人は歴史上のその他大勢になってしまう。
他にも、4人の先輩留学僧である業行(ぎょうこう)という、既にもう何十年も写経のみに心血を注ぎ、誰も知らないマニアック経典も含めて、正しい経典を日本に運ぶ機能を果たすためだけに生きているような人物も登場します。
小説では、後に空海の登場を待って初めて日本に伝えられた密教の経典も含め、すべて写経を終え、さあ、いよいよこれを日本に持ち帰る!という設定になっているのですが。
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嵐の中で夥しい数の経典とともに海の底に沈没 …合掌。
歴史というのは、数多くの捨て石の上に積み重ねられてきたものであり、逆にそれら捨て石がなければ、後に続く人が事績を残すこともなかったのではないか、そう感じずにはいられない。
現代の我々も、自分が今取り組んでいる仕事が後世に何かを残すものとなるのかどうか、不安になることが多々ありますが、そんなことは考えても仕方がないこと。後に残ろうと残るまいと、今やらないといけないことはやらないといけない、人間はそうやって生きてきた。そんなことを思い知らされる作品ではないかと。
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本来自分が果たしたい目的を十分追求できなかったこの数年間ですが。
今月から時間を巻き戻して、しっかり取り組みたいと思います。
まずは、いろいろなことの復習から。
今月から時間を巻き戻して、しっかり取り組みたいと思います。
まずは、いろいろなことの復習から。
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