漂流、放浪、そして失明。苦難の果てに渡日した唐の高僧鑑真。

天平5年(733年)の第9次遣唐使船で入唐し、彼を日本に招くべく奔走した留学僧の物語です。

この小説の味わい深い点は、歴史とは、強靭な意思と行動力を持ち合わせた超越した個人の存在のみによって創り出されるものではない、という視点に立って、歴史上の人物に焦点が当てられているところにあるのかと思います。

第9次遣唐使船で入唐した留学僧4人、戒融(かいゆう)、玄朗(げんろう)、栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)のうち、在唐20年を経た後、鑑真を連れて帰日を果たすのは普照ただ一人。

では、普照が4人の中で、生きて日本の土を踏むことを最も強く望み、唐僧を招き正しい戒律を日本にもたらすことに情熱を注ぎ、行動する人物がであったのかと言うと、決してそんなことはない。そこに作者の歴史観が滲み出ているのを感じました。

まず、行動力という点では、経典よりも広大な大陸に住む様々な貴賤の人々に興味をもち、滞在している寺を出奔して托鉢の旅に出てしまう戒融。

途中、何をしてたかは詳細不明。歴史の上ではわずかに楽浪を経て日本に帰ってきたようなことが史書に記録として残るものの、事績は明らかではない。

次に、唐土に着くなり重度のホームシック にかかり、その意味では生きて日本に帰る希望を最も強くもっていたと思われる玄朗。

持前の意志薄弱さを遺憾なく発揮し、唐で嫁さん見つけて娘も生まれ、還俗。そのまま唐土に骨を埋める。

そして、正しい戒律の必要性を最も強く信じ、唐の高僧鑑真を日本に招くことに不屈の信念で取り組んだ栄叡は…。

漂流と放浪の果てに病没…。

普照はと言うと。
まあやっぱり朝廷の後ろ盾で国を代表して渡唐したわけだし、きちんと勉強して伝えられるものを伝えなきゃという最低限の使命感はもってはいるものの、どこか冷めているというか、のめり込まないというか、主体性を欠くというか、そんな性格の持ち主です。

幾多の困難に逢いながらも、最後まで鑑真に付き従ったのも、

「だってホラ、栄叡があんなに必死だし…それに引っ張られてここまで来ただけで…」

「まあ、なんか、勉学放り出して出奔しちゃった戒融の気持ちもわからないでもないけど…」

「鑑真和上の強靭な意思を目の当たりにしたら、『オレはもうイヤだねっ』とか、言えないよな…」

そんなヤツです。

でも、そんな人物が事績を残し、残りの3人は歴史上のその他大勢になってしまう。

他にも、4人の先輩留学僧である業行(ぎょうこう)という、既にもう何十年も写経のみに心血を注ぎ、誰も知らないマニアック経典も含めて、正しい経典を日本に運ぶ機能を果たすためだけに生きているような人物も登場します。

小説では、後に空海の登場を待って初めて日本に伝えられた密教の経典も含め、すべて写経を終え、さあ、いよいよこれを日本に持ち帰る!という設定になっているのですが。

嵐の中で夥しい数の経典とともに海の底に沈没 …合掌。

歴史というのは、数多くの捨て石の上に積み重ねられてきたものであり、逆にそれら捨て石がなければ、後に続く人が事績を残すこともなかったのではないか、そう感じずにはいられない。

現代の我々も、自分が今取り組んでいる仕事が後世に何かを残すものとなるのかどうか、不安になることが多々ありますが、そんなことは考えても仕方がないこと。後に残ろうと残るまいと、今やらないといけないことはやらないといけない、人間はそうやって生きてきた。そんなことを思い知らされる作品ではないかと。

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